内田吐夢と『警察官』――成立と背景について

日活の労働争議を契機に日活を退社した内田吐夢は、「新映画社」の設立に参加する。しかし、わずか1年あまりで新映画社は解散。その後、新興キネマに吸収される形で移籍し、入社第1作として手がけた作品が『警察官』である。1933年は、映画を国民教育や対外宣伝に活用しようとする「映画国策」が具体化しはじめた時期にあたり、本作はその理念を実践する試みであった。

映画国策の理念を具体化するという、いわば大役ともいうべき作品の監督を任された内田吐夢は、この国家的な理念をいかに表現するかという課題に直面した。「私は、その最後的な根本問題、即ち、如何にして「警察精神1天皇に仕える官吏として国家・国民に奉仕し、私情や党派的利害に左右されることなく、公正に職務を遂行する警察官の使命意識を指す。1930年代前半には「警察精神作興運動」が推進され、その涵養が図られた。」を映画の上に再現させるかと云ふことに直面して、かなりの期間を模索しました。警察の大精神を、短日月間に理解しやうとすることが、すでに無理なのである。遂に私は理解し尽さうとすることを断念して、「人間警察官」を描き出すことに依つて、「警察精神」を描き出さう、と私の考へを決定したのでありました2内田吐夢(1934)「映画『警察官』に就いて」『警察協会雑誌』3月号」と回想しているように、理念そのものではなく、それを背負う一人の警察官の姿を通して表現しようとした。1929年の『生ける人形』で資本主義社会の矛盾に翻弄される青年を描いた内田吐夢が、会社の企画とはいえ国家秩序を肯定的に描く作品に取り組んだことは、一見すると大きな転換のように思える。しかし、一貫して関心を寄せていたのは、社会の中で葛藤し、生きる人間の姿であった。その「人間警察官」を体現する主役の伊丹巡査には、日活時代から進退を共にしてきた盟友の小杉勇が配された。

原作は竹田敏彦の同名戯曲で、同年の新国劇による明治座公演が人気を博していた。物語は映画と同じく、円タクの風紀取り締まりから始まる。伊丹が取り締まった円タクには、カフェーの女給に身を落とした幼馴染の恵美子と、伊丹の友人である富岡哲夫の父親が乗っていた。会社の重役を務める哲夫の父親は、取り締まりを見逃す代わりに伊丹の雇用を持ちかける。伊丹は申し出を退けるものの、この出来事を通して、警察官としての自らの立場に葛藤を抱えることになる。

宮辺 (泌々とした調子で)君のやうな理想家から見れば、俺なんぞは惨めに見えるだらうな。
伊丹 (ハツとして)ど、どうしてです?
宮辺 勤続三十年の巡査なんて、君は内心軽蔑してやしないか。
伊丹 (狼狽して)何、何をいふんですか、藪から棒に。
宮辺 何なら、田鶴子との婚約も、断つてくれてもいゝよ。
伊丹 (宮辺を見て)何故、そんな事をいふんです。今夜に限つて……。
宮辺 何故といふ訳もないが、君は現職に満足してゐない。君の努力と向上心には、わしも惚れ込んではゐるが、現在の身分に満足を知らない人間は不幸だよ。
伊丹 (苦しげに宮辺を見る。)
宮辺 わけて今夜の君は、一層巡査がいやになつてゐるだらう……。俺も良縁だと思つてゐたが、君のやうな望みの大きい人間と、俺や田鶴子のやうな人間とが、いつまでもソリが合ふかどうか……。
伊丹 だから、田鶴子さんをやれないと仰有るんですか。
宮辺 別にさういふ訳でもないが……。いや、止さう、俺が思ひ過したかも知れない……(空を仰いで)また曇つて来たな。

竹田敏彦(1933)「警察官」
『警察協会雑誌』11月号

宮部(原作では「宮辺」)との会話からは、伊丹自身が現在の身分への不満をはっきり自覚しているというより、自分の中にある向上心や出世への欲望を意識し、理想と現実との間で板挟みになる姿が描かれている。同じ葛藤でも、男客の相手をしなければならない恵美子の境遇を知り、職務を果たしたことが本当によかったのかと思い悩む映画とは、また違った一面が窺える。

そんな中、銀行強盗の知らせを受けて伊丹は宮部とともに現場へ駆けつけるが、宮部は犯人に撃たれて重傷を負う。伊丹は、自分が出世に心を奪われたために宮部を危険に晒したのだと自責し、周囲には捜査に身が入っていないように見えながらも、密かに犯人を追っていた。警察では捜査が行き詰まっていたところへ、恵美子が指紋のついたコップを持って現れる。伊丹は、その指紋を手がかりに、かねてから目星をつけていた哲夫(原作では「哲雄」)が銀行強盗の主犯ではないかと考えていた。しかし、親友である哲夫を自ら捕らえなければならないことに、伊丹は再び逡巡する。

伊丹 (急に)いや、空想だ。恐ろしい空想だ……。橋本、こいつは矢張り駄目なんだ。(独語するやうに)あんな男が犯人であるもんか。(箱を開く)
橋本 (怪訝さうに。)何うする?(その手を制おさへる。)
伊丹 捨てちまふんだ。
橋本 待て!貴様は今、何と言つた。この犯人は挙げずにはおかない。そしてこのコツプにはその容疑者の指紋があると慥かにさう言つたぢやないか。
伊丹 だが、こいつは物になるまいよ。
橋本 たとひならうとなるまいと、何故一応指紋を調べない。……竹馬の友が何だといふのだ。
伊丹 (狼狽する)
橋本 (コツプの箱を奪つて)なあ、伊丹。警察精神とはそんなものか。衛生係の松本を見ろ。チブスの予防に夢中のあまりたうとう恐ろしい病菌を、子供にうつして殺してしまつた。交通係の大平は、街路に狂ふ奔馬をとめて、胸を蹴られて死んだぢやないか。川口は火事場で不具者になり、宮辺さんは賊のためにあの重傷だ。我等の同僚は、みなこの通り、身も魂も捧げつくして、職務の前に闘つてゐる。旧友が何だ、愛人が何だ、社会の治安はもつと大事だぞ。
伊丹 ……。
橋本 元来貴様は野望に酔うて、警察官を軽んじてゐる。間違ひのもとはそこにあるんだ。……それなら、貴様。この世の中で、何が貴い仕事だといふのだ。政治家か、重役か、大金持か……。子供のやうな夢を見ずと、もつと現代の社会に目覚めろ。今は何んな時代だと思ふ。生活難、失業苦、思想の動揺、世相の不安――そして政党が何をしてゐる。金持が何をしてゐる。誰が命を的にして、社会を護り、人民を保護してゐる。警察官だぞ、お互ひだぞ……。

竹田敏彦(1933)「警察官」
『警察協会雑誌』11月号

伊丹が親友への情から犯人の指紋を捨てようとする姿を前に、同僚の橋本は警察官としての職務を優先すべきだと説く。これまでとらわれていた出世への欲望を厳しく戒められた伊丹は、病床の宮部に改めて警察官として生きる決意を語る。親友であった哲夫を自ら捕らえることにも、もはやためらいはなかった。そこへ犯人の所在が判明したとの電話が入り、伊丹は哲夫の逮捕へと向かう。

哲雄 あ、貴様は……。
伊丹 富岡、神妙にしろ。
哲雄 何を……。
哲雄再び、激しく抵抗する。伊丹、奪つた拳銃を向けて、
伊丹 手向ふか。(睨む)
哲雄 (突然、地に手をついて)伊丹、ゆるしてくれ、ゆるしてくれ。
伊丹 ゆるせ?
哲雄 頼むから、逃がしてくれ……な、二人は親しい昔友達だ。
伊丹 (黙つて涙の目を外らす)
哲雄 なあ伊丹、昔を思ひ出してくれ。小学校から中学を出るまでの、あの懐しい少年時代――いつも二人は、机を並べて勉強した。手をとりあつて野山も歩いた……。
伊丹 それが、今はこの態ざまだ。(急に堪まらないやうに)貴、貴様何といふことをしたんだ。俺あ貴様が恨めしいぞ。
哲雄 それは互の思想の相違だ。……な伊丹、頼むからこの捕縄をといてくれ。お願ひだお願ひだ。竹馬の友が一生の願ひだ。
伊丹 ……。
哲雄 どうした……伊丹。なあ、この縄をといてくれ。
伊丹 (暫く考へてゐたが、突然馳せよつて哲雄の手を取り)富岡、赦してくれ……。
哲雄 ぢや、矢張り、引かうと云ふのか。
伊丹 俺の使命が許さないんだ。
哲雄 (冷笑して)ふゝ、貴様も、矢張り官権の犬か。(立ち上る)
伊丹 (同じく立つて)さうだ、国法を護る忠実な使徒だ。

竹田敏彦(1933)「警察官」
『警察協会雑誌』11月号

哲夫の逮捕後、宮部は息を引き取る。さらに伊丹は、恵美子が哲夫の父親の子を身ごもり、捨てられた末に自殺を図っていたことを知る。伊丹は哲夫の父親に責任を問うが、狼狽する哲夫の父親をよそに、恵美子は保護される。最後は宮部の死を警察官として職務に殉じた者の死として悼み、告別の礼を捧げる場面で幕を閉じる。

戯曲は8月1日に初演され、伊丹を島田正吾、宮部を畑中蓼坡、橋本を辰巳柳太郎、哲夫を秋月正夫が演じた。翌1934年2月21日には、同じ新国劇の出演者によるラジオドラマが放送されている。映画化にあたっては、内務省理事官であり映画検閲に従事した田島太郎の尽力が大きい。田島の回想には、内務省の増田甲子七事務官との相談を通じて、映画化の構想が具体化していった経緯が記されている。

私は座席に居られる増田事務官に希望を上申した。事務官は緊張された。二人は目の前の舞台を忘れて相談をした。事務官は云はれた。俺は、ウオルター・ヒユーストンの「街の野獣」を観た時、その警察精神の旺溢して居るのに打たれた。あの映画でさへ良いと思つた。日本にこうした劇がある以上、普遍力の強い映画に作つて、之れを全国の民衆に贈りたい、警察官にも観せたい。上司に御願いする方は俺が引受けた。君は製作の方をやれ。話は俄然具体化して来た。私の心は「警察官」の映画化で一杯になつた。

田島太郎(1934)「映画『警察官』の陣痛の回想」
『警察協会雑誌』2月号

その後、田島は明治座を所有していた松竹に映画化を打診したが、交渉の末に傍系会社の新興キネマが製作することになったという3田島太郎(1934)「映画『警察官』の陣痛の回想」『警察協会雑誌』2月号。この三幕構成の短い戯曲は、脚本を担当した山内英三の手によって、約120分の長編映画へ展開された。原作が宮部を通して、警察官としての使命感や理想像を描くことに重点を置いていたのに対し、映画では伊丹と哲夫の関係を軸に、友情や葛藤を描く人間ドラマへと物語の中心が移されている。また、幼馴染の恵美子は伊丹の隣人に、恵美子と円タクに同乗していた男性も哲夫の父親から別人へと置き換えられた。これらは、伊丹と恵美子、恵美子と哲夫の父親との関係を省き、伊丹と哲夫の関係に焦点を絞るための変更と考えられる。

哲夫は裕福な家庭に育ったが、父親との不和から家を離れ、放蕩生活を送る青年である。社会的には問題を抱えた人物でありながら、仏教哲学の代表的な論書である『中論』から「観行品」第3偈を引用し、さらにドイツロマン派の詩人ノヴァーリスの『断章』を口にする。こうした描写は、哲夫を単なる社会からの逸脱者ではなく、思想や自己の在り方を模索する一人の人間として造形している。伊丹と同様に、哲夫もまた、内田吐夢が描こうとした「人間」であったといえる。劇中で引用されるノヴァーリスの一節は、1931年刊行の飯田安訳のものとほぼ一致しており、時期の近さを考えても、この訳を参照した可能性が高い。

哲学は本来、郷愁ハイムヴエーであり、いづこにゐても、わが家にゐようとする衝動である。

飯田安訳(1931)ノヴァーリス『断片』
第一書房

そのような意図とは裏腹に、内務省や警視庁との度重なる協議によって脚本には修正が加えられた。10月には東京ロケが始まり、約3週間にわたる長期ロケを行った。内務省と警視庁の全面的な後援を受け、数十名の警官に守られて撮影が進められた。特に芝浦付近では、空き家を実際に借り、その路地を中心にかなりの日数を費やすほどの力の入れようだったようだ4「新映画評 警察官 とも角も面白いもの」(1933)『東京朝日新聞』12月4日夕刊3面。11月30日に浅草電気館で封切られ、「警察官にも観せたい」と語った増田の言葉通り、その週には浅草象潟警察署(現・浅草警察署)の警官とその家族約1000名が無料で招待された。

公開後は、内務省警保局から600円の褒賞金が贈られたほか、文部省特選映画にも選ばれるなど、公的な評価を受けた。もっとも、それは本作が芸術作品としてのみ評価されたことを意味するものではないだろう。内田吐夢は後年、「ぼく自身は、この作品で、警察官というものの、かくれた人間的生活や、内的ないろいろの苦しみを描き出そうと意図したのです。しかし、検閲で切られました。それも、すこぶる上手に切られたので、人間的な生活や、苦しみがすっかりなくなり、テーマ不足の作品になり、その上に『人間警察官』が、『勇敢なる警察官』になってしまいました」5内田吐夢(1955)「自作を語る」『キネマ旬報』10月1日号と回顧している。「人間警察官」から「勇敢なる警察官」への変化は、内田吐夢が描こうとした人間の姿と、国家が映画に求めた役割との隔たりを示している。そして、こうした国策化の流れは、やがて1939年の映画法制定へとつながっていく。

ここで、作品のもとになった銀行強盗事件についてまとめておきたい。1932年10月6日午後3時55分、川崎第百銀行(現・三菱UFJ銀行)大森支店に覆面姿の3人組が押し入り、現金3万1700円を奪って逃走した。その大胆な手口はアメリカのギャング映画を思わせるものとして、当時の新聞でも大きく報じられた6「大帝都にギヤングの脅威 三人組ピストル強盗 白昼悠々銀行を襲ふ」(1932)『東京朝日新聞』10月7日朝刊11面。犯人がいずれも日本共産党員だったことから、この事件は「赤色ギャング事件」として知られるようになった。

警察にとって戦前の日本共産党は、天皇制の打倒を掲げる非合法組織であった。地下活動を続ける党の活動資金は、コミンテルン7レーニン率いるロシア共産党を中心に創設された共産主義運動の指導組織。日本共産党はその日本支部とされた。からの援助に加え、裕福なシンパからのカンパによって支えられていた。ところが、三・一五事件(1928年)、四・一六事件(1929年)などの大規模な検挙や、インテリ層を中心とする大口シンパへの摘発が重なり、従来の資金網が大幅に弱体化する。党は事業経営による資金調達を図る一方で、強盗・詐欺・恐喝などの非合法な手段にも手を広げた。とりわけ、シンパの中でも良家の子女をそそのかして現金や株券、債券などを持ち出させる方法が多く用いられた。資金難に追い詰められた党は、ついには銀行強盗に手を染める。これが「赤色ギャング事件」である8立花隆(1983)「第十一章 大森銀行ギャング事件」『日本共産党の研究(二)』講談社文庫。

こうした共産党とシンパとの関係を踏まえると、哲夫の設定にも当時の共産主義運動をめぐる状況が反映されている。哲夫の人物造形には、教養主義の影響が色濃く見受けられるが、その教養主義が盛んだった旧制高校の学生たちの間では、文学や哲学を通じた自己修養が重視される一方で、マルクス主義も広く受容されていたからである9竹内洋(2003)『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』中公新書。文部省思想局が1934年から35年にかけて編纂した『左傾学生生徒の手記』には、左翼思想に関わって検挙・収監された学生が、読書や学問を通じてマルクス主義に関心を深め、左傾していった過程をみることができる。

「赤色ギャング事件」の発覚は党の社会的な信用を失墜させ、内部にも混乱をもたらした。10月末に幹部の一斉検挙が行われ、翌年は最高幹部の転向声明が発表された。弾圧が強まる中、2月には小林多喜二が特高警察に虐殺されている。さらに、党内のスパイ摘発をめぐるリンチ事件が拍車をかけ、1935年に至って党中央委員会が壊滅した。党の非合法活動を過激化させ、組織を崩壊に導いた一連の過程には、特高警察のスパイMによる主導があったとされる10立花隆(1983)「第九章 〝非常時共産党〟とスパイM」『日本共産党の研究(二)』講談社文庫。

本記事は、シアターセブンで開催された「大森くみこのナナイロ活弁 ~第六巻~」にて配布した解説をもとに、内容を再構成・加筆しています。

  • 1
    天皇に仕える官吏として国家・国民に奉仕し、私情や党派的利害に左右されることなく、公正に職務を遂行する警察官の使命意識を指す。1930年代前半には「警察精神作興運動」が推進され、その涵養が図られた。 ↩︎
  • 2
    内田吐夢(1934)「映画『警察官』に就いて」『警察協会雑誌』3月号 ↩︎
  • 3
    田島太郎(1934)「映画『警察官』の陣痛の回想」『警察協会雑誌』2月号 ↩︎
  • 4
    「新映画評 警察官 とも角も面白いもの」(1933)『東京朝日新聞』12月4日夕刊3面 ↩︎
  • 5
    内田吐夢(1955)「自作を語る」『キネマ旬報』10月1日号 ↩︎
  • 6
    「大帝都にギヤングの脅威 三人組ピストル強盗 白昼悠々銀行を襲ふ」(1932)『東京朝日新聞』10月7日朝刊11面 ↩︎
  • 7
    レーニン率いるロシア共産党を中心に創設された共産主義運動の指導組織。日本共産党はその日本支部とされた。 ↩︎
  • 8
    立花隆(1983)「第十一章 大森銀行ギャング事件」『日本共産党の研究(二)』講談社文庫 ↩︎
  • 9
    竹内洋(2003)『教養主義の没落 変わりゆくエリート学生文化』中公新書 ↩︎
  • 10
    立花隆(1983)「第九章 〝非常時共産党〟とスパイM」『日本共産党の研究(二)』講談社文庫 ↩︎