
日本映画において、海辺を舞台に若い男女の恋愛模様を描く「海浜喜劇」というジャンルは、『アマチュア倶楽部』(1920)によって誕生したとされる。原作者の谷崎潤一郎が、当時の日本で評判を呼んでいたマック・セネットの「Bathing Beauties」と呼ばれる水着美人が登場する喜劇映画に傾倒していたことはよく知られている。その谷崎が義妹の和嶋せい子に葉山三千子の芸名を与え、水着姿で主演させたことも有名な話である。鎌倉由比ヶ浜の海水浴場を舞台にしたこのスラップスティック・コメディは、アメリカ映画の模倣ではあったものの、海水浴という近代的レジャーのイメージを大衆に広める役割を果たしたといえる。
水着をまとった葉山三千子の肉体美が観衆の関心を集めたように、「海浜喜劇」は水着姿の女優を見どころの一つとして定着していった。その背景には、女性の身体を表象するメディアとして当時の映画に寄せられた観客の期待があり、海辺という開放的な空間はそうした表象を可能にする舞台であった1。しかしながら、女性の肉体を興行上の魅力として利用する手法は、裏を返せば「水着の女優を出せば客が入る」という商業的戦略でもあっただろう。その結果、同時期に制作された「海浜喜劇」には、いささか粗製濫造の感が否めない作品も少なくなかった。たとえば、村田実監督の『素敵な美人』(1926)について、中野英治は次のように回想している。
中野 これはとんでもない映画です。夏休みの海水浴が目的で琵琶湖の雄琴へ遊びに行って、でっち上げたものですよ、これは。岡田嘉子が素敵な美人、ぼくがその恋人、岡田を横どりする男が俳優内田吐夢、さらにそれに絡む高木英二という布陣ですが、村田さんしまいには撮影に出てこなかったですね。レジャーの余暇の産物で、みんなで適当にやってしまいました(笑)、ひどいもんだ(笑)。
岩本憲児・佐伯知紀「聞書き日本映画史 中野英治(上)」
『月刊イメージフォーラム』4月号(ダゲレオ出版 1985年)
海水浴が一般大衆にとってのレジャーなら、「海浜喜劇」の撮影もまた映画会社にとってはちょっとしたレジャー感覚だったのかもしれない。海辺のロケーションと若い男女さえ用意できればストーリーは二の次で、あとは恋愛騒動の一つや二つを盛り込めば、それで一本の映画として成立したに違いない。「海浜喜劇」が流行した背景には、こうした手軽さもあったように思われる。ちなみに、製作した日活は当時京都の大将軍に撮影所を構えていたため、ロケ地には近場の雄琴が選ばれたのだろう。

今回取り上げる牛原虚彦監督の『海浜の女王』(1927)もまた、「海浜喜劇」に位置づけられる作品である。松竹蒲田では、すでに島津保次郎が『海は笑ふ』(1924)を撮っており、この流行と無縁ではなかった。やはり本作も御多分に漏れず、『キネマ旬報』は「われわれが、牛原氏に期待するところのものは、もつともつと大きなものがあるからである」と述べた上で、「これは、牛原氏の作品としては失敗の作である」2と評している。
もっとも、物語の出来とは別に、本作において観客の関心を集めたであろう要素の一つが鈴木傳明の女装であった。『キネマ旬報』10月1日号の広告(右掲)にはオートバイを乗り回すモダンガール姿の傳明がメインに据えられている。さらにひと月前の9月21日号の広告には、「ナント諸君、傳明は此の映画で女装します!」という宣伝文句もみられ、製作側が傳明の女装を本作の見どころとして前面に押し出していたことがうかがえる。
傳明の女装の出来栄えについては、淺井カヨ『モダンガールのスヽメ』(2016)にスチール写真が掲載されているので、興味のある方はぜひご覧いただきたい。写真を見る限りではなかなか堂に入っており、顔だけ見れば騙される人がいても不思議ではない。実際、銀座でのロケ撮影の際に見物人たちから女性と間違えられたエピソードを、傳明自身が回顧している。
ロケーシヨンに群集は今更申すまでもないつき物だが殊に処は銀座だ。なるべく人出の少ないうちにつてんで朝早くを選んだのだがそれでも大した人だかりだ。僕と柏君とが並んで歩いて行く。キヤメラが移動でこれを追ふ。その後から色んなことを云ひ乍ら群集がついて来ると云ふわけだ。その連中が云つてゐることが面白い。『凄いね』『随分丈が高いね。日本人かしら。』『ひどくモダンだナ此方は柏美枝ぢやないのかい?』『ウン。するとあれも今度蒲田へはいつたと云ふわけなんだらう』などゝ口々に云つてゐる。これが全く可笑しくつて/\堪らない。噴き出しそうになるのをこらへて時々柏君と顔を見合せてニヤリと笑つたりする位がせい一ぱいだ。その中撮影が一先づ終る。そこで色んな群集の下馬評の真唯中に僕は『ウウ、暑い!』と云ひ乍ら被つてゐた帽子を勢ひよく脱いだもんだ。あの時の群集のアツケにとられたやうな顔は一寸又類のないものだつたつけ。全く人の悪い話だけれど。
鈴木傳明「女装奇談」(『蒲田』1928年2月号)

1931年の『芝居と映画 名流花形大写真帖』によると、傳明の身長は五尺七寸五分、すなわち約174cmで、当時としては長身の部類に入る。しかもスポーツ俳優として鳴らしただけあって体格も精悍である。もちろん、本物の女性と並んで歩けば身長や体格の差が気にならないわけではない。少なくとも女装した傳明と吉川満子、雲井鶴子、柏美枝とのスナップショット(左掲)を見ると、女性陣3人は岩場の上に立っており、どうにかして身長差を目立たせまいとする工夫が見てとれる。現代の目から見れば、(傳明の証言を信じるとするなら)これを女性と見間違えるのは難しそうだが、当時の人々にとっては、歌舞伎の女形や芸としての女装はともかく、女性として認識されることを目指した、いわば「本気の女装」はまだ馴染みの薄いものだった、とでも考えておきたい。
