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海浜喜劇の流行と『海浜の女王』

日本映画において、海辺を舞台に若い男女の恋愛模様を描く「海浜喜劇」というジャンルは、『アマチュア倶楽部』(1920)によって誕生したとされる。原作者の谷崎潤一郎が、当時の日本で評判を呼んでいたマック・セネットの「Bathing Beauties」と呼ばれる水着美人が登場する喜劇映画に傾倒していたことはよく知られている。その谷崎が義妹の和嶋せい子に葉山三千子の芸名を与え、水着姿で主演させたことも有名な話である。鎌倉由比ヶ浜の海水浴場を舞台にしたこのスラップスティック・コメディは、アメリカ映画の模倣ではあったものの、海水浴という近代的レジャーのイメージを大衆に広める役割を果たしたといえる。水着をまとった葉山三千子の肉体美が観衆の関心を集めたように、「海浜喜劇」は水着姿の女優を見どころの一つとして定着していった。その背景には、女性の身体を表象するメディアとして当時の映画に寄せられた観客の期待があり、海辺という開放的な空間はそうした表象を可能にする舞台であった1。しかしながら、女性の肉体を興行上の魅力として利用する手法は、裏を返せば「水着の女優を出せば客が入る」という商業的戦略でもあっただろう...
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『霧笛』鑑賞記~村田実と中野英治、そして志賀暁子~

12月23日、神戸映画資料館にて念願の村田実監督『霧笛』(1934)を鑑賞した。明治期の外人居留地を舞台に、異人のクウパー(菅井一郎)のもとで下男として働く元スリの千代吉(中野英治)は、喧嘩の強さから地元のやくざを取り仕切る豚常(村田宏寿)に目をつけられる。千代吉は豚常の縄張りのチャブ屋でらしゃめんのお花(志賀暁子)と出会い惹かれ合うが、お花がクウパーの愛人であることを知り、やがてお花をめぐって千代吉とクウパーは対決する。ざっと筋書きを紹介した通り、登場人物の関係性において中心となっているのは千代吉とクウパー、千代吉とお花ではあるが、千代吉に因縁をつけて喧嘩を挑む地元のやくざ、代官坂の富(小坂信夫)の存在も忘れがたい。千代吉との喧嘩に負け、弟分となって千代吉の危機を救おうとする富は、劇中の台詞いわく「ぽかぽかやって」勝てば男同士のヒエラルキーが決まる単純さが見ていて一種の心地よさがあった。本作の主眼はお花をめぐる三角関係というよりも、千代吉のクウパーに対する感情の変化である。クウパーの下男として忠実に働き、クウパーの癖さえ身につくほどになった千代吉が、お花の相手がクウパーだったと知るに...
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神戸クラシックコメディ映画祭2020 『國士無双』・『続清水港』解説再録

本記事は2020年1月11日~13日に神戸映画資料館と旧グッゲンハイム邸にて開催された神戸クラシックコメディ映画祭のプログラム、『國士無双』(1932)、『続清水港』(1940)の上映に際して配布した解説資料の再録(一部省略)です。片岡千恵蔵略歴1903年3月30日、群馬県新田郡藪塚本町(現在の群馬県太田市藪塚町)に植木菊太郎、かつの長男として生まれる。本名は植木正義。2歳のときに母を亡くし、以後は祖母の手で育てられた。祖母に連れられて上京したあとは東京府東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)の父の住居に移り住んでいる。1915年には11代片岡仁左衛門主宰の片岡少年劇に加入、片岡十八郎の芸名で初舞台を踏む。片岡少年劇が解散すると仁左衛門の直弟子として大歌舞伎へと舞台を移す。このときの一座にのちの嵐寛寿郎がいた。1923年、畑中蓼坡の新劇協会に出入りしていた関係で小笠原明峰が設立した小笠原プロダクションの第2回作品に植木進の芸名で参加、映画界への第一歩を踏み出す。初出演作は『三色すみれ』という現代劇で大学生を演じた。なお、当時恋愛関係にあった新橋の雛妓が関東大震災で死亡(病死の説もあり)し...
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鈴木傳明と田中絹代は不仲だったのか

田中絹代が女優としての名声を高めはじめたのは1927年、『真珠夫人』(池田義信監督)に栗島すみ子の娘役で助演してからだ。松竹の大幹部であり大スターの栗島と共演することは当時の女優の目標になっていた。それまでの絹代はお世辞にも美人とはいえない容貌といかにも子供子供した年恰好(実際子供だった)が上層部の不評を買っていたが、五所平之助の強い要望により同年に『恥しい夢』で初主演を果たす。この初主演の話が舞い込んできたのは『真珠夫人』への出演が決まった直後で、絹代を主演に起用することに難色を示した城戸四郎を説き伏せた五所の奔走の結果であった。下町の芸妓を演じた絹代の初主演作は無事好評を博し、いよいよ『真珠夫人』がクランクインするが、ちょうど前後して清水宏との"試験結婚"と称した同棲生活が始まっている。この年の7月には大部屋から準幹部に昇進しており、絹代にとってはいい意味でも悪い意味でも記憶に残る年になっただろう。さらに翌年の1928年、絹代は『近代武者修業』(牛原虚彦監督)で鈴木傳明の相手役に抜擢される。傳明は絹代がデビューする5ヶ月前の1924年3月に日活へ入社し、早くも現代劇の二枚目スターと...
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映画『虞美人草』(1941)と『三四郎』

夏目漱石原作の『虞美人草』は過去2度映画化されている。最初の映画化作品となる溝口健二版(1935)を見た記憶はあるのだが、内容は完全に忘れてしまった。概要を確認してみると主人公を宗近に、ヒロインを小夜子に据えたものに変更しているらしい。現存するフィルムの保存状態がすこぶる悪い(台詞が聞き取りづらい)せいもあって、評価はあまりよくないようだ。溝口版に関する言及は今回の眼目ではないので置いておくとして、もう一つの中川信夫版(1941)は素晴らしかった。中川信夫という人はもともと新感覚派文学やプロレタリア文学に傾倒して同人誌に小説を書いたこともある文学青年なので、文芸作品とは相性がいいはずなのだ。ことに本作は原作の世界観や時間の流れ、漱石が書いた一字一句をいかに大事にしているかが伝わってきた。とはいえ原作とは違い、小野が小夜子と藤尾を引き合わさず藤尾の死を劇的に描かなかったのは、原作で向けられた藤尾に対する作者の意図1を排除し、あくまでも青春恋愛映画としての枠組みから外れないようにするための配慮だろう。しかしながら、そうすることによってかえって藤尾が死に至るまでの説得力に欠ける結果になってし...
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入江たか子をめぐる五人の男

入江たか子『映画女優』(学風書院 1957年)入江たか子は1927年のデビューから一躍スターの座に上り詰めた。華族のお姫様という話題性はマスコミの注目を集めたが、当時の東坊城家は没落貴族でありひたすら家族を養うために選んだ女優という道だった。本作は貧困、失恋、結婚の失敗、病気、そしてスターの座からの転落をつづった入江たか子の半生記である。描かれる映画界の内幕も庶民が抱く華やかなイメージとは程遠く、俳優の女性関係や映画会社の策謀で占められている。入江はその持ち前の美貌で多くの映画人を虜にしたが、彼女を取り巻く男たちの中でも特に際立つ5人を紹介しておく。東坊城恭長入江たか子の兄、東坊城恭長が映画界入りしたのは1924年のこと。同じ華族だった小笠原明峰主宰の小笠原プロを手伝っていたのがきっかけで日活に入社する。東坊城家は父であり当主の徳長の死去と、それに引き続く関東大震災の被害により生活苦に陥っており、残された3人の兄が母と弟妹を養わなければならなかった。恭長の映画界入りは華族出身だからなのか高額の月給で、そのため恭長には「身売り」の意識が多分にあったようである。子爵の御曹司が活動役者になっ...