片岡千恵蔵

研究ノート

神戸クラシックコメディ映画祭2020 『國士無双』・『続清水港』解説再録

片岡千恵蔵略歴1903年3月30日、群馬県新田郡藪塚本町(現在の群馬県太田市藪塚町)に植木菊太郎、かつの長男として生まれる。本名は植木正義。2歳のときに母を亡くし、以後は祖母の手で育てられた。祖母に連れられて上京したあとは東京府東京市麻布区(現在の東京都港区麻布)の父の住居に移り住んでいる。1915年には11代片岡仁左衛門主宰の片岡少年劇に加入、片岡十八郎の芸名で初舞台を踏む。片岡少年劇が解散すると仁左衛門の直弟子として大歌舞伎へと舞台を移す。このときの一座にのちの嵐寛寿郎がいた。1923年、畑中蓼坡の新劇協会に出入りしていた関係で小笠原明峰が設立した小笠原プロダクションの第2回作品に植木進の芸名で参加、映画界への第一歩を踏み出す。初出演作は『三色すみれ』という現代劇で大学生を演じた。なお、当時恋愛関係にあった新橋の雛妓が関東大震災で死亡(病死の説もあり)しており、その家の養子に入っている。1926年、直木三十五の紹介でマキノ・プロダクションに入社野村芳亭と知り合った千恵蔵は1925年に松竹蒲田入社の話がほぼまとまっていたが、野村の松竹下加茂移動で御破算になった。。翌年に片岡千恵蔵の芸...
研究ノート

入江たか子をめぐる五人の男

入江たか子(1957)『映画女優』学風書院入江たか子は1927年のデビューから一躍スターの座に上り詰めた。華族のお姫様という話題性はマスコミの注目を集めたが、当時の東坊城家は没落貴族でありひたすら家族を養うために選んだ女優という道だった。本作は貧困、失恋、結婚の失敗、病気、そしてスターの座からの転落をつづった入江たか子の半生記である。描かれる映画界の内幕も庶民が抱く華やかなイメージとは程遠く、俳優の女性関係や映画会社の策謀で占められている。入江はその持ち前の美貌で多くの映画人を虜にしたが、彼女を取り巻く男たちの中でも特に際立つ5人を紹介しておく。東坊城恭長入江たか子の兄、東坊城恭長が映画界入りしたのは1924年のこと。同じ華族だった小笠原明峰主宰の小笠原プロを手伝っていたのがきっかけで日活に入社する。東坊城家は父であり当主の徳長の死去と、それに引き続く関東大震災の被害により生活苦に陥っており、残された3人の兄が母と弟妹を養わなければならなかった。恭長の映画界入りは華族出身だからなのか高額の月給で、そのため恭長には「身売り」の意識が多分にあったようである。子爵の御曹司が活動役者になったと...